
地方紙新聞記者も副業はできる
仮面ライターです。2024年のクリスマスにこの原稿を書いたのだけど掲載が遅くなってしまった。
考えてみれば8ヶ月間、ブログ原稿を書いていなかった。「かく企画」の社員としては失格かもしれない。少なくとも、新聞社で8ヶ月も原稿を出さないと、いろいろ面倒なことになる。
しかし「かく企画」はゆるい会社。社長に叱責された経験はない。
「かく企画」はたった2人の会社である。ブログについては、僕が書かなければ社長が書いているし、社長が書かなかった時期には僕がよく書いていた。
当初は、お互いにまじめにせっせと書いていた記憶がある。お互いが書いたものを新聞社にいたときのように、かなり細かくチェックもしていた。僕は整理部の経験もあったので、社長がつけた見出しにも注文を出していた。
その頃は、広告収入でしっかり儲けて、そのお金で調査報道でもしたいと思っていた。ところが、そう簡単に収益が上がることはなかった。プラットフォーム側に、よくわからない理由で収益システムをストップされもした。
ちなみに、弊社のブログで閲覧上位の記事は、ほぼすべて社長によるものである。「かく企画」社内では、しばしば社長解任動議が出されかかることがある。結局、社長の続投が決まるのは、こうした実力があるからかもしれない。
会社を興して良かった
最近、「かく企画」を始めて良かったと、ことさらに思う。
ブログ収益は小学生の小遣いになるかならないかという程度。と言うと、「なんだ」と思われる読者がいるかもしれない。その事実は認めるが、収益は徐々に増えている。下がったことはない。
思い返してみれば、最初に振込があった日、僕は率直に嬉しかった。月額にしたら、小学生でも喜ばないような額だった。それでも嬉しかった。
自分たちで記事を作り、サイトを設定した。それだけのことかもしれないが、どうでも良いことや、つまらないことをとやかく言われないから楽しかった。今も楽しいけど、あの新鮮さは忘れられない。
そして倦怠期というか、あまり書かない時期がやって来た。
僕がまず書かなくなった。小説執筆に集中して、ついついブログ原稿を後回しにした。次に、社長が体調不良やほかの事業で忙しくなった。僕の原稿を確認する作業にも時間を要するようになった。
その後はしばらく2人とも新作を出さなくなり、その後、社長がまた書き始めた。僕はといえば、バイト先でのトラブルが悪く影響して、小説だけなんとか書いているという状況。ブログに手がまったく回らなかった。
凸凹コンビだから
考えてみると、「かく企画」の2人は、そろって快調ということはなかなかない。結果的にではあるけど、お互いを補完しているような関係だ。
タイミングは違うけれど、お互いにピンチを迎え、良くない時期をなんとなくやり過ごす。
お互いのトラブルなり、困ったことを一緒に抱えることはしない。そもそもできない。それでも、僕は定例の「かく会議」で報告する。社長は解決策を考えてくれる。まずはじっと聞いてくれる、というのが良い。そういう意味では二人でトラブルを共有している。
もちろん暗い話ばかりを報告しているわけでもない。
小説の進捗や社長の事業の受注状況、良かった本や映画のこと。視聴しているYouTubeの話なんてときもある。
そう言えば、2人とも視聴している有料YouTubeで、僕の投稿が取り上げられたことがあった。
普段は連絡をしてもなかなか返事をしない社長の方から、何度もLINEメッセージが届いたからどうしたのだろうと思った。確認すると、YouTubeに僕の話が流れていたのだ。「かく企画」のことも紹介された。(「大人の放課後ラジオ」※有料部分ですが、第252回の「小説家SP第18弾」です)
また、巨人の元エース・江川卓さんのYouTube「江川卓のたかされ」にも投稿して採用された。(【代打の神様】江川卓が選ぶ第だの切り札は誰!
江川さんにも作家の石田衣良さんにも、自分の質問だけではなく、経歴にも興味を持ってもらい、コメントしてもらえた。ファンとしてはとても嬉しかった。
新聞記者の副業
新聞記者をしていた時期、副業なんて考えられなかった。
「忙しい」と書くと簡単すぎる。新聞記者の困ったところは、24時間仕事をしているというところだ。寝てもいるし、食事もしている。遊んでもいる。
だが、いつ電話がかかってくるかわからない。連絡が来たらどんな時間でも、いっきにテンションをマックスに持っていき、対応しないと、どやしつけられる。
僕が記者をしていた時代は、「休みの日にも定時ニュースを確認しろ」と言われていた。スマートフォンなんてない時代。小さなラジオを持ち歩いた。
当然、落ち着く時間がなかったし、とても疲れていた。自分の状況を酒で流していた。そういうこともあって副業のことなんて考えられなかった。
もう一つ。収入が安定していたから、副業なんていらなかった。
記者は高給取りと揶揄されたが、僕は取材のために自分のお金の一部を使っていた。大方の同僚も似たりよったりだった。貯金はすっからかんに近かった。「貯金は後から着いてくる」。そう言われてきた。
現在の新聞社はほぼすべてが瀕死の状態だ。
どこの社でも、いちばん簡単な人件費削減ばかりしている。タコが自分の足を食べる状態。記者が減り、紙面内容が薄っぺらくなっていく。当然、商品としてはつまらなくなっている。
現在、20~30代の記者の人たちは、どのくらい気がついているのだろ? 新聞社に限ったことではないが、人材は使い捨てだ。
あなたたちも捨てられる。
別にあなたの周囲の40代、50代が特別に無能とか、やる気がないわけではない。時が来れば捨てられるのだ。
またまた脱線するが、管理職以上になっていれば大丈夫かもしれない。でも、会社ごと消滅するかもしれない新聞社ではどうだろう。逆に、硬直した組織の管理職に一度ついてしまった人は、ヒラだった人よりも転職は難しいかもしれない。ここらへんの話は別の機会に書こうと思う。
話を戻す。僕の場合はリストラされ、書くこと以外のスキルを身につけることになった。親しい人の助言があって、あえて書くことや撮ることを一切しない仕事を選んだ。そうして、新しいスキルを身につけることが出来た。ラッキーだった。
新しいスキル獲得と同じくらい、いや、それ以上に「かく企画」を作ったことが良かった。
1人だったら、日々のことを言い訳にして、何もしていなかったと思う。おそらく、小説は1作も書き終わっていなかっただろう。ブログをこうして書くこともなかったはずだ。
ブログも小説も、食べていくにはまだほど遠い。一方で、何も手にしていなかった自分を考えると、なんて幸運なのだろうと思う。
新聞記者の転職は厳しいとよく聞く。副業も難しいと思う。
若い世代の人たちは、しっかりしていると思うから、それなりに準備はしているのかもしれない。でも、「転職や副業ってどうしたらいいんだろう」と思っている人は、まずは会社を作ってみてはどうだろう。
資本金はいらない。登記も不要。心から信頼できる人と会社を設立するだけ。
社是を真剣に考え、10年先の事業を考える。そのために、今日に何が出来るのか。 毎日をごまかして生きてきた僕にとっては、その一歩がとても大きかった。
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