忘年会は絶対強制

 年の瀬が近づいてきました。「かく企画」社員の仮面ライターです。

 みなさんの職場では忘年会は開催されるでしょうか? 新聞記者をしていた私は、どこの職場に行っても幹事を担当していました。正確に言うと、幹事をやらされていました。

 新型コロナウイルスの感染拡大で、日本の企業文化はかなり変わったと思います。そうであればとても喜ばしく思います。

 今回は、日本の古い体質を引きずり続けているマスコミの忘年会の様子をご紹介します。ただし、話はコロナ禍前の話です。

忘年会・歓送迎会が重要な「仕事」

 新聞社では、歓送迎会はとても重要です。忘年会は任意参加とされていますが、実際は強制でした。町内会の加入やPTAと同じようなものです。不参加を表明すると、参加を説得されることがありました。

 特に整理部では、仕事の担当一覧に「幹事」というものがありました。初めて見たときには、頭の中にクエスチョンマークがうずまきました。

 職場の人の家族が亡くなったときに、部としてお金を出したり、部長に代わって弔電をうったりするので、一定の意味はあると理解はしました。

 ただ、その他のイベントに、(私からすると)ものすごい熱量を割くのは最後まで抵抗感がありました。

 整理部では、秋に一泊の旅行も企画しました。部長はやらなくていいのでは、という意見でしたが、部長すら飲み込む同調圧力で開催した記憶があります。

 幹事は出し物をしなければならず、女装して踊るという、昭和のにおいがする夜を過ごしました。

最重要イベントが忘年会

 年末の忘年会は特に重要でした。幹事をしていたときには、10月くらいから忘年会のことを考え始めました。幹事の仕事で気にかけていた点を思い出してみます。

会場の下見

 会場の下見に行って、実際に飲食をしてくるのは当然でした。もちろん、自腹です。

 チェック項目の第一は会場そのもの、つまり個室があるかどうかです。アルコールが入ると騒ぎ出し、部外者に聞かれると問題になることも口にしだす人がいます。

 社内の醜聞(マスコミの社内醜聞は週刊誌に掲載されることもあります)、取材に関わる話など、普段は口にしないことでも、酔った勢いで話してしまう人います。しかも大声で。

 ですから、店から「個室があります」と言われていても、実際に見せてもらう必要があります。個室なのに、壁の上部が開いているような部屋なNGです。

食事・値段の確認

 マスコミはいろいろと店に注文する迷惑な客です。しかも、食事にうるさい人がいます。

 値段と食事のレベルがあっているかを私は見ていました。食事がイマイチでも安ければあまり文句は言われません。

 「安いです。食べ放題です」と店側が言っていても、実際に試しておかないと、当日、ずっと文句を言われることになります。

 中には、真面目に説教をする上司もいます。「そういうところが仕事にも反映されている」などと言われ、忘れたいのに忘れられない忘年会になることもありました。

長時間使えるか

 ある時期から、忘年会でも時間制という店が増えてきました。2時間という店は絶対にNGです。

 理由は、参加者の来場時間が揃わないからです。整理部の場合では、非番の人、夕刊出勤の人、朝刊出勤の人などがいます。取材部署の場合は、警察担当は夜回り取材をしているので出てくる時間がかなり遅くなりました。

 ちなみに、整理部では忘年会の日は、「最終版組」といのが出来ました。本来は、すべての紙面が印刷されると仕事が終わりなのですが、忘年会のために、出来るだけ少人数だけ職場に残すシフトを組みました。

 普段から、そうしていれば、少しは早く帰れるのに、と私は常々思っていました。

人数は大まかでも認めてくれる店

 人数は当日まで不確定です。良心的な店は、実際に来た人数で会計をしてくれるというところもありました。

 ただ、そういう店は過去にもお世話になった店で、マスコミの状況を知っているという場合がほとんどでした。

 幹事としては、融通が聞くいつもの店にしたいのですが、「変わり映えがなくマンネリだ」「幹事の熱意が感じられない」という意見が出てきます。

 できる限り、新規開拓に努めました。ちなみに、3次会までは店を考えておきました。幹事は3次会までは、必ず参加でした。

 元気な人は必ずどこにでもいるので、4次回以降もありました。大概はカラオケボックスに行っていたようです。

マスコミにとって忘年会が大事な理由とは

 否定的なニュアンスで幹事の仕事を書いてきました。

 幹事をすることで身についたことはあります。仕事に生かされているか、と問えば、その通りです。言葉にすれば、「気遣い」と「準備」の大切さということになります。

 ただ、当時の忘年会は強制的な雰囲気が強かったのは事実です。そのような「業務」をする中で、マスコミで忘年会が大事にされている理由を考えていました。

体育会系の体質

 まずは、マスコミは体育会系の体質です。仕事はチームワークが必要とされます。

 整理部では時に締め切り間近になると怒号が飛び交うこともあり、感情をむき出しにする人もいます。でも、翌日には、また何事もなかったように仕事をゼロから始めます。

 強制的なチームワークが必要とされ、感情的な面を見せ合う職場なので、年に1回は「ノーサイド」が必要だったのでしょう。

一期一会

 マスコミには、「一期一会」の業界文化があると思います。人事異動が多く、それに伴い転勤もします。上に挙げた理由と同じですが、一緒にいるときだけでも一体感を持とうとしているのかもしれません。

 ちょっと話は変わりますが、整理部では、毎日着席するときに「お願いします」と言いました。私の解釈では、「昨日(前回は)いろいろあったけど、あれは水に流して、お願いします」という意味だと捉えていました。

 一方、現場で取材する部では、あいさつをしないのが普通でした。私は、新聞記者になる前に別の仕事をしていたので、記者をクビなる日まであいさつをしない人たちに強い違和感がありました。

飲酒に過度な期待を寄せている

 マスコミでは、一緒に飲んだら仲良くなれると信じている業界文化があります。

 そもそも、取材相手と飲んだら距離が近づくと信じられています。それは一定の真実ではあります。ただ、それも人それぞれ。飲めない人もいます。

 飲んで言いたいことを言って、スッキリした人(特に上司)はいいかもしれませんが、致し方なく参加している人にとっては苦痛だと思います。

同調圧力が強い

 すべてに共通しているのは、組織の同調圧力が異常に強いことです。

 日本社会は同調圧力が強く、空気を読むことがことの外に大事です。それは、日本人以外の人たちと付き合ってみて、比較すると感じることです。

 社会の多様性を尊重する方針で報道をしているマスコミですが、その組織内部はかなりの同調圧力がまん延しています。その縮図が忘年会である、というのが私の結論です。

コロナは人の命を奪ったけれど

 新型コロナで沢山の人がなくなりました。また、経営がうまくいかなくなって廃業した自営業者の方もいます。

 そういう大きなマイナス面はありますが、社会的な催しを縮小したり、見直したりする機会になったのが新型コロナウイルスの感染拡大でした。

 コロナ禍の影響で、忘年会参加の同調圧力に対して言いやすくなったと思います。

 「私は不参加です」という一言が、前ほどおかしいとは受け止められなくなったと思いませんか? 個人の判断を尊重せざる得なくなったと私は考えています。

 一昔前は、忘年会が嫌な人は、事前に「参加」すると言っておきながら、毎回、当日になると体調不良で欠席と言ってきました。

毎度のことなのでわかっていました。幹事として迷惑でした。でも、それくらいの圧力をその人は感じていたのだと思います。

 コロナ禍が数年前よりは落ち着いてきています。同調圧力が前のように復活しないことを祈っています。

仕事,働き方

Posted by kamenw