「敵」の懐に飛び込んでネタを取る
「かく企画」社員の仮面ライターです。私は以前、新聞記者をしていました。
難しいと感じる取材の一つに、記者に好意的ではない人に話を聞くというものがあります。今回は、そういう人に取材をした話を紹介します。
最初に結論
先に結論を先に言います。困難な取材の方が「特ダネ率」は高いです。当然といえば当然かも知れませんが、その理由を分析してみます。
マスコミ嫌いの人たちの中には、「私たちは正しい。そもそも、その私たちに話を聞きさえしないから偏向した報道がまかり通っているんだ」と、考えている人たちがいます。
取材は困難ですが、そういう人たちの中には、記者にとっては特ダネになる話を知っている人がいます。(本人は、それが特ダネとは思っていないのですが)
どうして、そういう人たちがネタを知っているのか。
マスコミを嫌っている人の中には、具体的な出来事を把握していて、それが報じられないことに憤っているという場合があります。
そもそも具体的な出来事を把握しているというのは、それなりの活動をしていたり、組織で大事なポジションにいたりするからです。
記者にとって重要な事実を知っている人たちです。その事実に対する考え方は、記者とは違っているかもしれません。ただ、そこに報じる価値を見つけることが出来れば、特ダネ取材になります。
批判される中で取材を続けた日々
四半世紀くらい前の話です。私は、平成の大合併で出来た旧郡部を担当する記者でした。
合併直後は議員の数が定員よりも多くても構わないという特例が認められていました。合併前には協議会も開かれ、話し合いの末に出来た新しい市でした。
ただ、特例とはいえ、議員が多すぎることに一部の住民から疑問の声が出るようになりました。
議員が多いと何が問題となるかと言えば、やはりその分の報酬です。議員報酬の出処は税金です。
住民グループが署名活動などを始めたのを機に、私は取材をしました。自民党系の議員たちに話を聞くと、住民グループへの不満が渦巻いていました。
「合併前に話し合ったのだから今更文句を言うな」、というのが主な主張です。ただ、その主張にはかなり偏りがあると私は思いました。
住民グループをまとめている人への個人的な誹謗中傷がひどかったと記憶しています。郡部の自民党系の議員の高齢男性が口にする批判のパターンはだいたい同じです。
「あいつはアカだ」
市がごたついている中、私は夜な夜な自民党系の議員たちの家をまわりました。住民グループの動きを記事にしていたので、怒りは私にも向けられます。
「あいつらの応援記事ばかり書いて公正中立の新聞はどこにいったんだ」
「誹謗中傷の記事を書いているのを親が知ったら泣くぞ」
列挙すると切りはありませんが、いろいろと言われました。
正直、生産的な取材とは思えませんでしたが、住民グループばかりの話を聞いていても話は見えてきません。真っ暗な山間部を車でめぐりながら市議たちの考えを聞き、動きはないかを取材しました。
ある夜、重鎮の市議の家に行くと面白い話を聞くことが出来ました。とある公立学校の授業が問題になっているというのです。
その授業では、一つの新聞記事の切り抜きが題材になりました。記事には、市で起きている合併後の住民団体の話が書かれていて、リコールなどの仕組みを生徒たちに考えさせるという授業でした。
自民党系の市議会議員たちが、その授業を問題視しました。そして、議長と校長が立ち会い、授業のやり直しをさせたというのです。
私に話した市議議員は言いました。
「こんなふざけた教師がしたことを記事にしないお前らはおかしい」
リコールに向かっている市の状況を子どもたちに知られるのが公平ではないと信じていたのです。
翌日からその事実確認をしました。
まず、教員に話を聞かなければいけませんが、校長サイドから聞くわけにはいきません。授業のやり直しをさせられた教師を探し出し、数日かけて裏とりをした後、校長と議長に取材。記事が掲載されました。
「あいつらは悪い奴らだ」と思っていた人たちが悪かった
記事が掲載され、自民党系の市議たちは窮地に立たされました。政治家による教育への介入が、行われていたことが明るみになったからです。
市議たちは私に言いました。
「どうして偏った記事の書き方をするんだ」
しかし、事実関係を淡々と書いただけです。それをどう判断するかは、読者に委ねられています。最初は過半数以上が私を批判していましたが、自民党系の市議たちの中には、自分たちに分が悪いと思い始める人も出てきました。
その時に私は思いました。
世にある事象をどういうふうに解釈するかは議員であっても自由かもしれない。ただ、それが絶対の正義と思っていると危うい。特に、現代社会の原理となっている民主主義や自由主義、平和主義に関することについては、よくよく考える必要がある。
四半世紀前の思い出を書きましたが、記事に不満を持った議員たちから批判はされましたが、その後も話をすることができました。
納得はしていないでしょうし、私のことをにくいと思っていたでしょう。しかし、議員として取材を拒否することはありませんでした。
かなり度が過ぎた意見を持っていても、ちゃんと事実関係の確認取材には答えていたし、自分の意見を私に話してくれました。
それから時間は流れ、この数年は国政レベルでもびっくりするようなことが度々起きています。
困難な取材で取り組む意味があるかわからない例
一見困難に思われる取材でも、その価値があるというのが今回のテーマです。
しかし、その価値はほぼゼロと思える取材もあります。いわゆる「差別主義者」で「ネトウヨ」と呼ばれている人たちへの取材です。
取材を申し込むとよく言われたのが、「こちらが言ったことを一言一句すべて掲載しろ」という主張です。その上で、掲載前に記事を見せろと要求してきます。
この主張を飲むとどうなるとというと、紙面に彼ら、彼女らの意見が一方的に載ることになります。
「マスコミは自分たちにとって都合が悪い事実を掲載しない」などという意見も聞きました。しかし、事実でないことや、取材意図を完全に無視した発言を無制限に掲載するわけにはいきません。
まとめ
私の昔の思い出から気がついた教訓は、「何もない」と思って取材をしなければ何も見つからない、ということです。
私の話は一昔前、いや二昔前の思い出です。今はさらに取材が難しくなっているかもしれません。
最近は、事実を突き詰めて報道しても、社会が全体的におかしなことを受け流しているように思えることもあります。厳しい取材をした記者たちには、徒労感や虚無感があってもおかしくないでしょう。
ただ、今はなんとなく許されていることでも時が来ます。社会の原理を無視した行為は、そのままで過ぎ去ることはないと私は考えています。その日は、意外とそれほど先でもないかもしれません。
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