仮面ライターの告白 ー追い込まれた日々ー
「学歴にも会社にも頼れない」と自覚することで、これまでと考え方が変わり始めた私、仮面ライターです。
以前よりは、ずいぶん考え方がポジティブになりましたが、それでも落ち着かなくなることが時々あります。新聞社での仕事のトラブルやその前兆が起こると、(前よりはマシですが)心を穏やかに保てなくなります。それでなくても、いつ倒産があってもおかしくない新聞社。日々、その前触れは起こっています。
今回は、落ち着かない気持ち。その原因を分析し、対処法を考えてみたいと思います。フリーランスや副業のためにスキルを磨く前に自分が潰れてしまっては、元も子もなくなってしまいます。自分のための備忘録ですが、みなさんのお役に立てばうれしいです。
トラウマが私をじっと見ている
仕事上のことで過剰に反応するのは、会社という組織で生きていかなければならないと信じ込んでいるからです。私は、以前のブログでお話した通り、気持ちの上では、新聞社はアルバイトとして働いています。本来の仕事は、このブログを運営する会社「かく企画」での活動です。
かく企画を通じて、一人でも多くの人の仕事や生活に役立つ情報発信をすること、が日々の目標です。その一つとして小説も書いています。また、これらの活動で生計を立てられるようになることも目指しています。
ですが、今月も収入は新聞社からがすべてです。さすがに、「新聞社を退職した」と、自分を100%信じ込ますことは簡単ではありません。バイトだと心では決めていても、「組織人」の自分が時々頭をもたげてくるのです。そうすると、過去のトラウマから心が不安定になることがあります。
もしかしたら、転職して他の企業で働いても、「組織人」であり続ける限りは、トラウマが時々襲ってくるのかもしれません。
私の場合は、新聞社に入ってすぐに、かなりひどいパワハラを受けました。自分では自覚はなかったのですが、周囲の人の強い勧めもあり、心療内科に通いました。
パワハラの上に、今とは比べられないほどの長時間労働でした。休みの日に寝ていると、突然仕事をしている上司が電話をかけてきて、電話に出た瞬間からフルパワーで怒鳴られることもありました。そして、休みがなくなりました。他の人がしたミスのフォローのため、なんてことも。「ありがとう」「ごめん」なんて言われません。
不適切な仕事上の指示もありました。実現不可能だったり、本来は私がやらなくて良い仕事を立場を利用して押し付けたり。自分なりに夜遅くまで働いて取り組みました。20年以上過ぎた今、振り返ってみても、とても酷い労働環境だったと思います。
完全否定され 追い込まれる
新聞記者になって1年目のある日、上司に呼ばれました。そして、最近読んだ本や興味のある取材テーマについて3分間ほど聞かれました。後でわかったのですが、それは人事評価面談でした。そういう説明は一切なく、その後、とても低い評定がつけられたことを知らされました。
人事評価面談では、評価する人はきちんと面談の趣旨や目的を説明しなければなりません。私は、雑談と思っていました。
当時は、休みがほとんどない毎日。忙しくて本を読むことが出来ず、自分の興味がどこにあるかなんて考えられなくなっていました。評価には、「向上心とやる気がない。記者に向いていない。採用担当者が間違った」と、書かれていたことを後々知りました。(※この時の低評価には、裏がありました。説明すると長くなりますが、評価をする人が自分を守るためにしたことでした)
自分なりによくやっている。でも、他人の評価は自己評価より高くない。そういうことはよくあります。でも、私は気にしてしまいました。精一杯だった時に完全否定されたことが、ショックだったのです。
このような経験があり、しっかりやっていても、ある日突然、「お前はだめだ」と言われるのではないかと怯える自分がいました。2か所目の赴任地で特ダネをたくさん書いたり、30代で難しい取材の担当となり結果を出したりしても、いつか、「お前はだめだ。採用担当者が間違った」と、突然、全否定されるのではないかと思ってしまうのです。
他者に言われたことは、反省材料になる。だた、自分の存在を否定するような部分は無視
今では、そう思うようにしています。容易ではありませんが、そうしています。
自分が成長するためにアドバイスは必要。何度も同じことを言われる自分。そういう時に、人格まで否定してくる人がいます。
成長が遅くても良いんです。潰れてしまったら(最悪の場合、自殺してしまったら)、成長するチャンスは来ません。
追い詰められると、それまで出来たことが出来なくなってしまいます。私のイメージでは、脳が縮んでしまい、機能低下に陥るという感じです。時々、自分を否定してしまいますが、自分の核を否定しないようにしたいです。
自分を追い込むのは自分だった
自分を追い込むのは、自分自身ということもあります。
私の例では、目標が高すぎたことが考えられます。私は、中途入社で記者になりました。新聞社の前は、まったく違う業界で働きました。
私が新聞社に入社した当時、記者は大都市ではないところで2か所ほど働き、その後、本社に異動するという順番でした。私の志望は、人気部署での仕事だったので、ちょっとやそっとの活躍ではダメでした。
そういう目標を持つことは悪くはないのですが、自分自身が「今」を楽しんでいたかというと、そうではなかったと思います。高い目標を持つことで、過度に焦っていました。焦るから、小さな仕事でミスをする。そのミスをしないための見直しをしないのです。小さな仕事と決めつけてしまっているから見直さないのです。
また、高い目標が原因で、何をしても満足できませんでした。そして、自分自身を褒めてあげられないのです。私に良くない影響を与えた何よりもの原因は、「それでいい」と自分で思えなかったことでした。
必ず過ぎ去っていく他人
時々、かく企画の社長と昔話をすると、自分が楽しそうに話している時があります。でも、当時は不満だらけでした。腹が立つことがあるけど、もっと楽しくやっていけば良かったと思います。
嫌な人や嫌なことは必ず向こうからやってくる。でも、いつかは過ぎ去っていく。過ぎ去れば、思い出す必要はないのです。その人がまだ目の前にいたら、しらんぷりする練習をしておけば良かったと今は考えています。
もう一つ、肉体面からも考えたいと思います。当時(20代と30代前半)は、とても不健康な生活でした。不規則で長時間労働が原因ではありましたが、運動不足の上にアルコールの過剰摂取。タバコも吸っていました。メンタルを健康に保つには、だめなことばかりをしていました。
40代になると体力が落ちてくるので、生活や生き方を見直さざるを得ません。ただ、もう少し早く、自分を大切にしてあげられれば良かったと思います。生活や働き方をポジティブに見直すという作業を始めるのが私は遅かったと思います。
ゆっくりとですが私は前進しています。メンタルが強くなったと思ったのに、数年前はパワハラでまいってしまいました(※立ち直りは、昔より断然早くはなりましたが…)。
時々、後退することもあるけれど、前に歩を進めたいです。
「バイト先」の新聞社の経営危機やリストラ。お金をまだ生んでいない「かく企画」。ネガティブに捉えたら、いくらでも不安を作り出すことは出来ます。
最低限の衣食住のお金を得るために、せっかく身についてきた「能天気思考」に心が時々ストップをかけているようです。もちろん、その感覚は必要であることは認めます。
でも、まだ起きていない事態にビクついていたら、新しいことは出来ない。そう思っています。
新聞社が倒産したり、強制的に退職させられたりした、その時に、どうするかを考えようと思います。
だって、そんなことまだ起きてないのだから。
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