会社を辞めてから やむを得ずフリーライターになるまで

2023年7月1日

 皆さんこんにちは。このブログを運営している「かく企画」で社長をしております藤田勝久と申します。

 2021年に19年3カ月勤めた会社を退職し、フリーランスのライターとして活動しています。自己紹介を兼ねて、会社を辞めてからこれまでのいきさつについてお話ししたいと思います。

突然の異動を命じられる

 私は2002年にとある地方新聞社に入社。市町村の地方行政の取材などを担当してきました。

 新聞記者の仕事は楽な仕事ではありませんでした。それでも、世の中の矛盾をただしたり、地域の知られざる話題を紹介したりする仕事に非常にやりがいを感じていました。30代も半ばに差し掛かって、やっと思うような記事が書けるようになり、将来は後輩をマネジメントしながら書く仕事を続けたい、などと、会社での自分の行く末をなんとなく描いたりしていました。

 そんなある日、突然営業職場への異動を命じられました。

 新聞社には、取材に行って記事を書く記者のほか、工場で紙面印刷に携わる人、ウェブサイト関連の仕事をする人、一般企業にもある「総務」「経理」「営業」など、さまざまな職種によって支えられています。

 私がいた新聞社では当時、記者から営業への異動は、管理職でもない限り極めてまれでした。そもそも新聞社は、ジェネラリストよりもスペシャリストを重視する傾向があり、同業他社でも記者・営業・印刷などの職種をまたいだ異動はあまりないと思います。

 そのため、異動の理由を巡り、さまざまな憶測が飛び交いました。営業を強化するための抜擢人事と言ってくださる方もいれば、当時担当していた公立病院の批判記事が度を過ぎたための懲罰人事と言う人もいました。「社長を狙うため、幅広い職を知ろうと自ら異動を志願した」「役員のハゲ頭をはたいたために左遷されられた」といった根も葉もない噂も飛び交いました。

「運命を自分で変えよう」 転職活動を開始

 従業員の採用や異動、昇進などの人事権は、基本的に会社が持っています。サラリーマンである以上、それに従うしかありません。今までのキャリアがチャラになる絶望と、何も分からない新しい仕事に対する不安を感じながら、新たな職場に出向くこととなりました。

 配属されて間もない頃、ある上司との面談の機会がありました。そこで私の異動について「これも運命だ」と言われ、受け入れることを促されました。この上司としては、傍目に分かるほどに打ちひしがれている私を励ますため、声を掛けてくれたのだと思います。

 しかし私は、この言葉を激励ととらえることがどうしてもできませんでした。

 そうか、運命か。運命は自分の意思ではどうにもならない。しかし、一度きりしかない人生、運命に従って忍従することはしたくない。では、その運命とやらを、自らの意思で変えてやろう。

 そんな思いから、私は仕事と並行して転職活動を行うことを決めたのでした。

心療内科へ通い 毎朝朝食を戻す日々

 不本意な異動でしたが、仕事で手を抜くことはありませんでした。はっきり言って嫌いな仕事でしたが、そんな仕事でも一生懸命取り組んでいる先輩や同僚たちがいるわけで、手を抜くことは彼ら彼女らに対して失礼にあたると考えたからです。人より十数年も遅れている分、人より多く仕事をしようと努めました。

 しかし、無理は確実にたたり、心療内科に1年超かかることになりました。休職を進められたものの、空虚なプライドが邪魔をして仕事をしながらの治療を選択。抗うつ剤を飲みながら出勤する日が続きました。通院は会社や上司、同僚には内緒にしていました。

 仕事には徐々に慣れてはいきましたが、その分仕事を与えられ、そしてキャパシティーを考えずそれを全て受け入れたことで、心身はさらにむしばまれていきました。妻が作ってくれた朝食を食べ、出勤前にそれを全てリバースする、といった日が何年間も続きました。

 何もかもいやになった私は、妻が背中を押してくれたこともあり、19年以上勤めた会社から去ることを決めました。

やむを得ずフリーライターへ

 会社を辞めることを決めたものの、自分が満足のいく転職先とは出会うことができず、やむを得ずフリーランスのライターとして生計を立てることとしました。

 フリーランスで今までに経験した仕事は、ニュースサイトの記事や企業サイトのコラムの執筆、記事広告・求人広告などの作成、書籍出版での編集支援、YouTubeの動画のナレーション作成、企業広報の支援など。まだ1年と少しですが、おかげさまでさまざまな事業を経験させていただいています。

 仕事探しは、まずは「ランサーズ」などクラウドソーシングのサイトで始めました。そこから新たな仕事に発展することもありました。ありがたいことに、新聞社時代にお世話になっていた人からもオファーをいただいたりもしています。

 また、営業職時代に手を付けて途中挫折していた簿記の勉強を再開。フリーランスになれば確定申告をしなければいけないので簿記が必要になるのと、万一、フリーランスでうまくいかなかったときの再就職で少しは有利に働くと考えたからです。3級の知識があれば十分なのですが、余勢を駆って2級まで取得することができました。

貯蓄が100万円減 でも、将来が見えてきた

 やむを得ずフリーランスになって1年が過ぎ、現状は「何とかなっている」というのが正直なところです。

 確かに年収は会社員時代の3分の1に落ち、貯蓄は1年で100万円ほど目減りしました。ただ、会社を辞めてから支出も減り(特に酒の量が減ったことが大きい!)、仕事もおかげさまでほぼコンスタントに受注があり、もう少し頑張れば将来の見通しが立つというところまで来ていると自己分析しています。

 当初、自己管理能力のない自分に自営業の資質はないと思っていて、フリーライターなんぞあり得ない、絶対無理、と思っていました。

 そこで、創造企業ならぬ想像企業をつくり、週一回、「業務報告」をするようにしました。先週の報告と振り返りを行い、今週の予定を確認することで、業務の管理を行えるようになりました。その会社が、このブログを運営する「かく企画」です。

 今となっては、会社の利益に貢献し、社内外のステークホルダーを調整するなどといった会社員の資質こそ、自分にはなかったのではないか、とさえ思うようになりました。

 それなりに準備をして、それなりにもがけば、フリーランスでも案外道は開けるのかもしれません。


自己紹介

Posted by かく企画