どんな記事であれ「写真の修正」は世間にウソを付くこと ー社長の告白ー
こんにちは、「かく企画」社長の藤田です。フリーライターの仕事をしていると、取材して記事を書くだけではなく、自分で写真を撮影することがよくあります。
その際、取材先から写真の修正を求められることがあります。明るさや色合いの調整ではなく、実際存在するものをなくする、またはないものをあるように見せる修正です。
壁に汚れがあるから、ちょちょっと修正しておいてよ
今の時代ですから、簡単に直すことができるでしょう
子どもに近所へのお使いを頼むかのように、気軽な感じで皆さん依頼してきます。
写真の修正は、新聞などの報道では完全アウトの行為です。しかし私は、広告などの報道と関係ない記事であっても、写真の修正は世間様にウソをつく行為であり、極力避けるべきだと思います。
今回は、実際にあった写真の修正依頼を紹介。懺悔の意味も含め、私が手を染めた修正について告白したいと思います。
この文章を、お世話になっている取材の依頼主の方々、そして私が取材する全ての人に捧げます。
修正を要求されるケースを紹介
私は現在、紙媒体、ネットメディア問わずお仕事をさせていただいています。その中で、写真の修正を求められるケースは圧倒的にネットメディアが多いです。
以下、実際に修正依頼があったケースを挙げていきます。あまり詳しく書くと依頼主や取材対象者の身元がバレてしまう可能性がありますので、どんな媒体かなどの具体的情報は省略します。
汚れを消してほしい
最も多いパターンです。社屋の壁の汚れ、シャッターや車両の錆、写り込んだ草木などを消すことを求められます。
取材する側も見栄えのする場所で撮影すれば問題ないのですが、どうしても撮影場所がなく映り込んでしまうケースがあります。「あらかじめ錆や汚れを落としておいてくれよー」と思いますが、なかなか言えませんね。
髪の毛を修正してほしい
これもよくあります。縮れているのをまっすぐにしてほしい、金髪に染めているのを黒に染めてほしいなど。
女性の場合、わずかにはねている毛を気にして消去を要求してくることがあります。
男性からも、薄い部分を黒く塗ってほしいという、ギャグ漫画のような要望がありました。私も深刻な状況なので、気持ちはよく分かるのですが…。
いなかったことにしてほしい
ほとんどありませんが、写り込んでいる人を消してほしいとの要望もありました。私の技術で修正しても写真が不自然になるばかりなので、全てお断りしています。
「恥ずかしいから」という理由で本人が申し出る他愛のない事情もあれば、写った人が会社を退職したため、「こいつを消してほしい」とお怒りのケースまで、さまざまです。
サムネ、コラージュは許容範囲
少し話はそれますが、作り込む画像で、見る人も「作り物だ」「合成だ」と認識して見るものについては、修正は差し支えないと思います。サイトの目次やトップページなどに写されるサムネイルや、複数の人や物を組み合わせた「コラージュ」などが例です。
報道では「万死に値する」行為
新聞社にも写真専門の記者はいますが、日ごろの取材においては記事を書く記者が写真撮影を兼ねることのほうが圧倒的に多いです。私も記者時代、写真を撮影していました。
(余談ですが、写真専門の記者に対して、記事を書く記者を特に強調したい場合、「ペン記者」と呼ぶ場合があります)
新聞などの報道機関にとって、写真の修正や改ざんはあってはならず、メディアの信頼を揺るがす行為であることに疑いの余地はありません。
写真の加工修正が気軽に行えるようになった昨今ですが、雑誌も含め、紙媒体が写真を改ざんしている可能性はまずないと考えます。私自身も、当たり前ですが手を染めたことはありません。
フリーライターになり 修正に手を染めた
会社を辞め、フリーライターになった現在も、ニュース記事で写真を修正したことは当然ですが1回もありません。
しかし、ニュース記事以外のジャンルですと、取材者からの要請で写真を修正したことが何回かあります。以下、過去の所業を懺悔したいと思います。
・汚れを消す…壁の汚れを消す、錆を消す、色を変えるなどを行ったことがあります。
・髪の毛の修正…はねた毛を消したことがあります。薄毛を増やす処理は、当事者の方とじっくり協議をした結果、見合わせました。
繰り返しますが、写真の修正は、世間様にウソを付く行為。完成した記事を見ても、後ろめたい気持ちがするだけです。
そして何より、修正作業は面倒。はっきり言って「無駄な工程」です。
ですので、最近ではお断りしているケースがほとんど。取材前のアポイントのメールでは「写真の修正については原則お受けできません」とあらかじめ書いておくこともあります。
世間では「盛る」行為が一般的に
写真の修正依頼が後を絶たない背景として、スマートフォンやSNSの普及があると思います。
かつて、写真撮影というのはカメラ(私の祖父母世代以前の人は「写真機」と言っていた)がないとできませんでした。「日本人観光客は首にカメラをぶら下げている」というのが外国人にとってのステレオタイプでありました。
スマートフォンが普及し、写真撮影に対する人々のハードルは格段に下がりました。いつでもどこでも誰もがパチリ(この言い方も古い)と撮影し、簡単操作で修正ができます。
また、YouTubeなどのSNSでは、サムネイルを作成します。写真を組み合わせたり、独特のフォントを使ったりして目を引くように作りますので、「それなら写真も…」という考えになっても不思議ではありません。
ちなみに、当ブログのサムネイルのほとんどは撮影した写真を何の加工もせず、そのまま掲載しています。そのうち目を引くよう工夫をしたいと思います。
まとめ ー「写真の修正」は世間にウソをつくことー
以上、写真の修正に対する私の所感をつれづれと書きました。「見る人に良い印象を与えるため、写真の修正は許容される行為。必要悪だ」。このように考える人もいるかもしれません。
それでも私は、やはり世間様にウソを付いている感じがして、抵抗があるのが正直なところです。
ウソを付いたら閻魔様に舌を抜かれる-。昭和の子どもたちは、親や幼稚園の先生からそのように言われて育ったと思います。平成や令和の子どもたちも、同じように諭されているのでしょうか。
写真の修正を繰り返していると、舌がいくらあっても足りません。
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