映画CMの「○○サイコー」が心に響かない理由
「○○」サイコー
一時期テレビにおいて、このようなセリフが入った映画CMがよく流れていました。○○にはそれぞれの映画のタイトルが入ります。試写会に訪れた女性客グループがカメラ目線で訴えかけたり、映画館内で客たちが声を唱和したりする、あのコマーシャルです。
こんにちは、社長の藤田です。2002年から14年間、地方新聞社で記者職に従事。2021年からフリーライターとして活動しています。
日本最初のテレビCMは、1958年8月に時計メーカーの精工舎(現・セイコーグループ)による時報CMです。まだスタッフがみんな不慣れで、生放送でフィルムを逆にしてそのまま流してしまったという逸話が残っています。それでも、当時見た人の感動はいかばかりであったでしょうか。
「セイコー」の放映から65年。あの「サイコー」ほど人々の心に響かないテレビCMはこれまでになかったと思います。まあ、主観かもしれませんが…。
そこで「○○サイコー」のCMのどこが薄っぺらいのかを考えてみます。
結論 三つの理由を見つけた
いきなり結論ですが、「○○」サイコーのCMが心に響かない理由として、以下の三つが挙げられます。
・「サイコー」の意味が広すぎるから
・カメラ目線で嘘くさいから
・言い方がチャラいから
それぞれ解説したいと思います。
「サイコー」の意味が広すぎる
理由の一つとして、サイコーという言葉の意味が広すぎるため、かえって何を言いたいのかが曖昧になっているという点です。
映画を見て「感動した!」「面白かった~」よく言いますが、感動、面白とひとことに言ってもいろいろな意味を含んでいます。
例えば、『ハチ公物語』『子猫物語』などを見たときの感動は「動物がいたいけだった」などと言うことができます。『黒部の太陽』(かなり古いですが)を見たときは「難工事に対するひたむきさに共感した」、『幸福の黄色いハンカチ』(これも古い)だと「夫を一途に待つ妻の姿に心を打たれた」など。
いたいけ、共感、一途など、これらをすべて含んでいる言葉が「感動」という言葉です。
面白も同じ。『インディー・ジョーンズ』のワクワクを伴う面白さと、『男はつらいよ』で寅さんとタコ社長繰り広げるドタバタは全く性質の異なる情感ですが、「面白」という一つの言葉で表すことができます。
「感動」「面白」など、いろんな意味を持つ言葉をさらにひっくるめたのが「サイコー」。だから映画の何が面白いのかがいまいち伝わらず、説得力に欠けるCMになっているのです。
カメラ目線が嘘くさい
カメラ目線になることで、誰かから言わされている感じが出てしまい、CM全体が何となく嘘くさい感じになります。タレントなどの有名人やインフルエンサーが言うのならいざ知らず、どこの誰だか知らない人が言うのですからなおさらです。
私は新聞記者になって間もない頃、「カメラ目線の写真は嘘くさくなるからから撮るな」と言われたことがあります。客観性が要求される新聞ならではの教えだと言えるでしょう。
言い方がチャラい
語尾を伸ばす独特の言い方も、信憑性を下げるのに十分な役割を果たしていると思います。文字で表す場合「最高」ではなく、「サイコー」になると思います。
「サイコー」CMから学ぶライティングの注意点
意味の広い言葉を使ってかえって何を言いたいか分からなくなったり、相手に目線を合わせすぎることで嘘くさくなったりすることは、文章の執筆でも同じです。
「かく企画」のブログですので、最後に「サイコー」CMから学ぶライティングの注意点を挙げたいと思います。
何が面白いか具体的に書く
単に「感動した」「おもしろかった」とだけ書くと、「サイコー」のCMと同様、薄っぺらいイメージを持たれてしまいます。どう感動したのか、どう面白かったのかをしっかりと説明することで、文章に説得力が出てきます。
例えば食べ物や料理のレビュー記事を書く際、「おいしい」という言葉を使わずにおいしさを表現するのが理想です。甘くてほっぺたが落ちそうなのか、辛みがやみつきになるのか。塩味が利いているのか、素材の味が生きているのか、具体的に書いてみてはいかがでしょうか。
この考え方は、料理に限らず、映画の感想、書評、落語や漫才などの演芸評論など、いろいろな記事に当てはまります。
過度に相手に問いかけない
CMのカメラ目線の女性と同じく、無名ライターが過度に相手に問いかける文章を書くと、かえって説得力のない文章になります。
「映画のCM、心に響かないですよね? その理由について一緒に考えてみませんか? ところで日本最初のテレビCMを知っていますか? そんなことよりこのブログを読んでくれませんか?」
極端な例ですが、無名ライターである私から続けざまに問いかけられても、うっとうしいばかりで文章を読む気になれないと思います。
ブログ記事などで頻繁に使われる問いかけですが、使いすぎはかえって嘘くさくなります。
カタカナ語、伸ばし棒を多用しない
カタカナ語、長音を表す伸ばし棒(サイコーの「ー」のことです)を多用すると、文章が軽薄になる傾向があります。特にライティング経験の薄い方は、意識してカタカナ語を使わないようにしたほうがよいでしょう。
嵐山光三郎さんや椎名誠さんなどによる、カタカナ語や伸ばし棒を多用した「昭和軽薄体」(昭和ケーハク体とも)と呼ばれる文章もありますが、あれは文章技術をきちんと身に付けている人が書くから型破りな文章として成立しています。技術が伴わない人がやると、形無しになってしまうだけです。
まとめ
今回は、映画でよく見る「○○」サイコーのCMが心に響かない理由と、そこから学ぶライティングでの注意点でした。
「○○」サイコーのCMが心に響かない理由
・「サイコー」の意味が広すぎるから
・カメラ目線で嘘くさいから
・言い方がチャラいから
ライティングで留意するべき点
・意味の広い言葉を避け、何が面白いか具体的に書く
・相手への問いかけを使いすぎない
・カタカナ語、伸ばし棒を多用しない
CMもライティングも、心に響くものを作りたいと思います。
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