転職シーンで批判されがちな「置かれた場所で咲きなさい」 その真意を読み取る

2023年7月1日

 こんにちは、社長の藤田です。

 2021年に19年3カ月勤めた会社を退職。現在はフリーランスのライターとして活動しています。

 さて、近年は「転職ブーム」と言っても差し支えないほど、仕事を変えることに対するマインドは高まりを見せています。

 そんな中、転職に関するブログや動画、ネットコラムなどでは「置かれた場所に咲きなさい」という言葉がやり玉に挙げられています。環境の変化を否定して我慢を強制し、将来への可能性の芽を摘む言葉として解釈されているからです。

 この言葉は、ノートルダム清心学園の理事長を務めていた渡辺和子さん(1927~2016年)の著書『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)で有名になりました。本は2012年に発売され、200万部を超えるベストセラーとなりました。

 確かに字面だけを追うと、一つの所にとどまることを強いる言葉のように思います。しかし著書で渡辺さんは「我慢しろ」とは一言も言っておらず、むしろ「咲くとは諦めることではありません」と主張し、主体的に生きずに「環境の奴隷」となることに警鐘を鳴らしています。

 今回は、渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』から言葉の真意を読み取り、ちまたにあふれている言われ無き誤解を解きたいと思います。

シスターの生涯

 本の内容に入る前に、渡辺さんの生涯について簡単に紹介したいと思います。

 渡辺さんは1927年生まれ。父は軍人の渡辺錠太郎でした。9歳のときに二・二六事件が発生。当時陸軍教育総監(軍人教育の最高責任者)を務めていた錠太郎は、反乱を起こした陸軍青年将校の凶弾に倒れます。

 渡辺さんは父の指示で隠れた物陰から、機関銃の乱射を受けて絶命する父の姿を目撃することになりました。43発もの銃弾が打ち込まれ、血と肉片が天井まで飛び散り骨はむき出しになった様子を、講演や著書などで折に触れて振り返っています。

 長じて、生涯を神に捧げることを決意し、18歳で受洗。ナミュール・ノートルダム修道会のシスターとなり、36歳で岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に就任します。

 学長としては異例の若さだったことに加え、地元出身ではなかっため、周囲とはさまざまな軋轢があったそうです。心が乱れることが多かったとき、一人の宣教師が渡辺さんに伝えた言葉が「Bloom where God has planted you(置かれた場所で咲きなさい)」でした。

敗北者・ブラック企業・日本人的

 さて、冒頭にも触れたとおり「置かれた場所に咲きなさい」という言葉は、SNS上で転職の可能性の芽をつぶすものと批判されて言います。

 インターネット検索で私が確認したもののうち、一例を挙げます

批判の一例

・自分の現状に甘んじる敗北者の言葉

・ストイックに生きている人なら言えるが、そうでなければうつ病になる

・咲く価値のないブラック企業の言葉

・我慢、忍耐の日本人的なマインド

・俺たちは植物じゃねぇ

 最後のものは論外として、大きく分けて①転職やジョブチェンジへの挑戦を否定する②我慢を強いるーーという二つの側面から批判されているようです。

 批判的な記事の中には「表面的な意味だけ解釈すると危険」「上司や経営者が使うと無責任」などのように、著書を読んだ上で論を展開しているものもありました。

 一方で著書に当たらず、字面だけを追って悪く言っていると思われる記事も散見されました。批判するなら本くらい読めよ、と思わずにはいられません。

「置かれた場所で咲きなさい」が言いたいこと

 本題に入り、渡辺さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』から言葉の真意を読み取りたいと思います。

「環境の奴隷」になるな

 渡辺さんは、自分の境遇に不満を持ち、他人によって自分の幸せや不幸せが左右される状態を「環境の奴隷」という言葉で表現しています。言葉のニュアンスからも分かる通り、主体的に生きていない状態です。

 そしてこのように続けています。

人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』

 「私が変わる」。何だか転職やジョブチェンジに通じるような言葉が出てきました。

 この部分を要約すると、自分が変わることによって、自分の花を咲かす=主体的に生きることができる、ということを言っているのです。

咲けない時は「根を下ろす」

 さらに渡辺さん。一つ所で我慢しろとは一言も言っていません。

 どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』

 「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルですが、咲けない時は無理をせず、根を張る=現状でできる努力を重ねていくことを呼び掛けています。

 私はこの部分を読んで、根を張るということは、転職活動をしたり、新しい資格を取ったり、資格でなくても何かの勉強をしたりして、転職やジョブジェンジに備えることだと解釈しました。

 根を張る努力をした者のみが、大輪の花、つまり転職やジョブチェンジを実現することができるのです。

長く花を咲かせていない私

 最後に、この言葉を私に照らしてみたいと思います。

 人間、誰しも希望する職業に就くことができるとは限りません。その点で、空前絶後の就職氷河期に新聞記者という希望する職種にありつけた自分は果報者だったと思います。決して見栄えの良い、大きい花ではありませんでしたが、小さな花を付けて自分らしく生きていたと思います。

 その後、新聞記者から営業職の最前線に置かれるという、当時の会社からすれば前例のない異動を経験しました。私はここでも自分なりに花を咲かせてみようと思いましたが、努力が足らなかったのか環境に隷属することしかできませんでした。

 会社を退職し、フリーライターになって2年となりますが、依然として根を下へ下へと下ろしている状態です。花はまだ咲かせていませんが、小さなつぼみくらいは付けることができたかなと思っています。

まとめ

 とりとめのない文章になってしまいましたが、まとめたいと思います。

「置かれた場所で咲きなさい」は我慢を強いる言葉ではない。
そして以下のことを推奨している
・環境の奴隷にならず、主体的に生きる
・咲けない時は根を下ろし、来るべき時に備える

 皆さまにも読んでいただき、ご自身なりの解釈を聞かせていただければ幸いです。

本の紹介

Posted by かく企画