政治家への取材が「ゆるい」理由
昔、新聞記者をしていた「かく企画」の仮面ライターです。
先日、友人から質問されたことがあり、ここ数日そのことを考えていました。今回は、「記者が逆質問される」というテーマでブログ記事を書いてみようと思います。
政治家の質問に記者が答えないのは?
友人の質問というのは、「政治家の質問に記者がまともに答えないのはなぜなのか?」というものでした。
記者会見で記者に逆質問をする政治家というと数人が思い浮かびます。
最近は、記者会見の様子がYoutubeなどで見られます。その様子を見た友人が、記者が政治家からの質問にきちんと答えないことに疑問と苛立ちを感じると言うのです。
私が友人に伝えた自分の考えは次のようなことです。
・記者会見は、記者が政治家に質問をする場所である
・逆質問をする政治家は、会見の趣旨を意図的であることも含めて、取り違えている。
友人は私の説明に納得しません。「それなら記者は政治家と闘うべきだ」と言います。
友人と話しながら私は困ってしまいました。一方で気がついたことがあります。これこそが、質問をする政治家の狙いなのではないでしょうか。
質問をするために来ている記者からすれば、自分の個人的意見を逆質問されても、答えることに意味はありません。でも、そのやり取りを面白がってみる人たちがいます。
特に、政治信条などをしつこく質問されて記者が答えに窮している場面を見ると、「記者が政治家にやり込められている」というイメージが刷り込まれます。記者がまともに答えない(答えられない)シーンは、政治家側の考えや信条が正しい印象を与えがちです。
政治部記者がしつこく質問をしないのは?
「政治家が記者に質問をするのはなぜなのか」について、一緒に考えているうちに、友人は次第に私の話に納得し始めました。
記者に逆質問をして、突然自分が言いたいマスコミ批判を開始する。その意図は何なんのか? 政治家が尖った言葉で記者をやり込めているところばかりに目を向けていると気が付きにくいことがある。友人はそのことを理解しました。
「ぜひともそういう政治家には毅然と取材して欲しい。頼むよ」と友人は私に言いました。でも、もう私は記者ではないのでその期待に答える場がないのですが……。
ちなみに、政治部の記者に私は質問したことがあります。それは、記者の質問に政治家がちゃんと答えない時に、政治部記者はなぜ、しつこく質問をしないのか、ということです。
例えば、「ご飯論法」で答えをはぐらかされているのは明らかなのに、政治部記者たちがすぐに取材を終えてしまうことに私は疑問を感じました。
ちなみに、「ご飯論法」というのは、論点をずらして回答をはぐらかす手法です。「朝にご飯を食べたか」という質問をされ、「ご飯」の意味をわざと狭い意味にとらえて、パンは食べたのに、「ご飯(白米)は食べてない」と答えるのです。つまり、質問を意図的に曲解して煙に巻く術です。
政治家の間で随分前から流行しています。(開発者にはなんらかの賞を贈ったらどうかと思います)
私の質問に対しての政治部記者の答えは次のようなものでした。
・ご飯論法で答える姿勢や 言葉を濁して曖昧に答える姿を含めて 記事にするのが政治部記者の仕事である
一理あるかもしれませんが、あまり納得出来ません。
政策決定に強く関与している政治家に質問をし、答えを得られずに帰ってくる。そういう仕事の仕方はどうなのか?
この私の納得しない感覚が、政治家にしつこく質問する記者が一部の人に受ける要因になっているのだと思います。
でも、しつこく質問する取材のやり取りも、ショーになってしまっている感はあります。大半のマスコミが徹底的に政治家に答えてもらうという姿勢で取材するようになると、状況は変わるのでしょうが、マスコミ間の分断が深まる一方の昨今では、変化はしないと私は考えます。
マスコミ取材がショー化するのが良いのか悪いのか。どちらの面もあると思います。ただ、マスコミの取材現場がのぞけるようになった今、記者に向けられる視線は昔とは違うものになったことは事実です。
逆質問をする政治家がどうしてそんなことをするのか? ニュースを見聞きする人が一歩立ち止まって考えてくれたらと思っています。
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