容疑者になるとどう報道されるか
こんにちは。「かく企画」社員で元記者の仮面ライターと申します。
このブログ読者で事件に関わる人がどれくらいいらっしゃるかわかりません。私がこれまでに会ったことがある人の中には、起訴はされなかったものの逮捕された経験がある人たちがいます。逮捕されたことは、非常に不名誉だとは思いますが、起訴されて裁判にかけられなかったことは不幸中の幸いだと思います。
今回は、容疑者になるとどう報道されるかについて書きたいと思います。
報道の原則 逮捕時は容疑者
まず、報道の原則は、警察に逮捕されたときは容疑者です。疑いがかけられているけれど、本当に犯罪をしたかという点については未確定という段階です。
逮捕されたときは、警察を通してがほとんどになりますが、容疑者の言い分を短くても記事に書くようにしています。
このことに関連して、過去にこのブログでは次のような記事を書いています。
逮捕前は、実名で報道される可能性は低いです。実名で報道することによって、その人がなんらかの犯罪に関わっているという社会的イメージを植え付けないように、相当な理由がない限りは実名で報道されません。
逮捕後は結構えげつない報道になる
逮捕されると一変します。マスコミは、容疑者の近所の人や親戚、仕事の関係者など、どんどん取材していきます。実際は、逮捕前から取材を進めていて、警察が逮捕すると、これまでにためていた取材内容を報道し始めると言った方が正確かもしれません。
容疑者側からすれば、まだ疑いをかけられている段階ですが、報道は、ほぼ「クロ」判定という印象を持つかもしれません。
私の苦い経験ですが、ある被害者が殺され、逮捕はされていないものの親族が疑われていました。実際に、その人物に会ってみると粗暴な感じ。警察も本人、周辺の聞き込みを進めていたので、私はこの親族をクロだと思っていました。
捜査はかなり長い期間続き、私は事件担当を離れました。そして、迎えたXデー。つまり、容疑者逮捕のときは、その親族ではない、別の人物が警察に連れて行かれました。
周辺取材をしていたときの自分の質問の仕方に、思い込みがなかったかと言われれば否定できません。
こういうことが起こるのは、日本の起訴率の高さにあるとよく言われます。そして、私も、「警察が目をつけているのだから、それ相応に怪しいのだろう」という思い込みを持つ傾向がありました。
判決後は断定調
推定無罪の原則があるので、逮捕後の文章表現には、マスコミなりに注意して書いてはいます。具体的には、「◯◯とされる」とか「◯◯という」など、断定を避ける書き方です。
ところが、裁判で判決が出ると、断定調になります。もう少し正確に言うと、判決が認めた事実関係について、断定調になります。
よく読めば、あくまで判決が認めた事実内容なのですが、私は若干違和感があります。
「◯◯裁判長たちは、✕✕という内容の事実を判決で認めた」と、書く方がフェアな感じがします。断定した書き方は、間違えのない事実であるかのように受け止められないでしょうか?
裁判は、まれに、やり直しということがあります。後からひっくり返る可能性があります。もう少し書き方を変えられないものなのでしょうか。
ちなみに、記者とのときに、上記のような疑問をデスクに話したところ、激ギレされました。
私の容疑者への視線
事件の記事を読んでいると、時々、新聞記事には書かれていない裏事情を勝手に想像します。
逮捕は、見せしめなのかという事件もあります。
例えば、交通事故で被害者親族の処罰感情を配慮する点から、逮捕して、その後釈放するという事件もあります。こういう事件は、かなり丁寧な取材と報道をしているマスコミ社ではない限り、「逮捕した」と書いたままにしていることがあります。
逆に、本当はもっと悪いことをしている容疑者なのに、捜査と取材が詰めきれず、グレー部分が書かれずにいるのだろうなぁという事件も。
現場で取材をしている記者は、事情を知る当事者だけに、SNSなどでの情報発信が出来ないのだと思います。ただ、新聞とテレビ、ラジオをというオールドメディアが流している事件報道の裏には、「言えない背景」が潜んでいるということを知っていると、ニュースの深みを感じられるのではないでしょうか。
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