「もたらす存在」になれなかった私 ーブログを始めた理由ー

2023年4月2日

 こんにちは、「かく企画」社長の藤田です。

 前回の記事では、自己紹介を兼ねて、会社を辞めてからフリーライターとして活動するまでのいきさつについてお話をしました。

 自分の心に嘘偽りなく書いたつもりですが、今読み返してみると、退職を正当化し、自己を美化した言い訳文みたいな感じになってしまったなぁ、と反省しています。

 もちろん、会社員時代を振り返ったとき、「これをするべきだった」「これができなかった」ということは多々あります。それらについては追々つづっていくとして、今回は会社員時代にできなくて一番後悔していることについてお話したいと思います。

「もたらす存在」になれなかった私

 会社員時代にできなくて一番後悔していること。それは「もたらす存在」になれなかったことです。

 私は2002年に23歳で地方新聞社に入社し、2016年までの14年間、新聞記者として勤めました。先輩方にさまざまなことを教わりながら、少しずつ成長していきました。

 新聞記者としてのスキルは、他の仕事と同じで朝一夕で身に付くものではありません。さまざまな現場を経験し、さまざまな人と出会い、さまざまな記事を世に出して、少しずつ成長していくものです。もちろん成長の速度には個人差があります。

 私が思うように記事が書けるようになったと感じたのは、記者になって12年過ぎたあたりだったと記憶しています。それまでの間、自分の知識や経験、文章スキルについて、後輩たちに十分伝えることができなかったと感じています。

自分のことに手一杯だった日々

 やっと思うような記事が書けるようになったかな、と自己評価できるようになったその矢先、全く畑違いの営業職場に異動することとなりました。37歳の新人の誕生です。

 年だけは取っていますが、営業現場のことなど何も分かりません。年下の“先輩”たちに教えを請う日々。自分のことに手一杯で、人に何かをもたらす、などと言っていられる余裕は全くありませんでした。

 心療内科に通い、サインバルタ(抗うつ薬。一般名デュロキセチン)を服用しながら仕事をしていましたが、とうとう耐えられなくなった私は退職を決意しました。

 19年間、先輩方から物心両面でさまざまな施しを受け続けた一方、後輩たちにはそれを何ら還元することもなく、会社員の社会からドロップアウトをしていったのです。

ある程度人生経験すれば、何かをもたらすことができる

 企業であれコミュニティーであれ、家庭であれ、知恵や伝承、スキルは先人から若手に引き継がれます。引き継がれることで、その組織は長らえ、企業風土や国家観、地域や家庭の雰囲気が作られていくのです。

 私は会社員であった19年間、お世辞にも優秀な人材ではありませんでした。そのまま会社に残っていたとしても、後輩たちにもたらすものは少なかったかもしれません。

 しかしどのような人でも、ある程度人生を経験すれば、人にもたらすことができるのではないでしょうか。自分の知見や経験が取るに足りないものでも、ひょっとすれば他の人の役に立つようなことがあるかもしれません。

 ただ、フリーランスの身分である私には、もはやそれを聞いてくれる人はいません。そこで、このブログを開設し、自分の知見や経験を細々ながら紹介していくことと決めました。

学歴も会社も頼れない だから情報発信

 第1回の文章に書いたとおり、このブログのテーマは「学歴も会社も頼れない時代にどうやって生き延びるか」。私は学歴に頼れず、会社にもすがることができませんでした。それでも、数少なく出来る仕事=書くという行為と、これまでの知識で、今のところ何とか生きています。

 こんなものは役に立たないだろうという無駄知識でも、いろんなライティングをしていればふとした機会で役に立つことがあります。勉強し直して取得した簿記の知識のおかげで、約20万円のライティング案件を獲得できたこともあります。

 会社を退職してから1年が過ぎ、当時の自分、いまの自分について、他人に正直に話すことがだんだんとできるようになっています。学歴も会社も頼れない自分だからこそ、人にもたらすことができるものもあるのではないか―。今ではこのように考えています。

 こんな私ですが、聞いてみたいことなどがありましたら、ぜひリクエストしてみてください。自分の経験や考えを、可能な限り公開していきたいと考えています。改めまして、よろしくお願いいたします。

自己紹介

Posted by かく企画