ハンセン病見学クルーズに参加して ―④船から見た景色と人間回復の橋―

 こんにちは、社長の藤田です。

 「学歴も会社も頼れない時代にどうやって生き延びるか」をテーマに、転職、独立・フリーランス、文章スキル、取材手法について書いてきている本ブログ。6月は趣向を変えまして、ハンセン病に対する理解を深める「見学クルーズ」の体験記を毎週金曜に4回にわたって掲載しています。

 最終回となる4回目は、岡山県の離島・長島にあるハンセン病の国立療養所・長島愛生園で行われた見学クルーズの中身について、当日の写真を交えながら紹介していきます。今回は「人間回復の橋」と呼ばれた邑久長島大橋を中心に触れたいと思います。

全国に13カ所ある国立ハンセン病療養所

 まず、国立ハンセン病療養所について簡単に説明したのち、クルーズの行程を写真で紹介していきます。

 国立ハンセン病療養所は、ハンセン病の元患者が暮らす施設。北は青森県、南は沖縄県まで、全国に13カ所あります。

※厚生労働省の「医師募集」のホームページにわかりやすい地図がありましたので、以下に記しておきます。

https://www.mhlw.go.jp/general/saiyo/hansen-doctor/facilities.html

 今回行った長島には、長島愛生園と邑久光明園の二つの施設があります。愛生園は1930年に開設され、国立療養所としては最も古い歴史を持ちます。一方光明園は、大阪府などが1909年に設置した「外島保養院」という施設がルーツで、台風により壊滅したため1938年に長島へ移転してきました。

 岡山から瀬戸内海を挟んで南向かいの香川県には、高松市の大島に「大島青松(せいしょう)園」があり、これらを「瀬戸内3園」と総称します。

 見学した愛生園には、2021年当時で123人が入所。平均年齢は87歳、平均在園年数は62年にものぼるとのことでした。

船から見えたかつての療養所の候補地

 こちらがクルーズの経路です。

 手書きの地図で申し訳ありません。スタートは兵庫県境の港町、備前市日生(ひなせ)町から。JR日生駅前港を出発し、日生諸島の島々を巡ったのち、長島を時計回りに回っていきます。青い点線が当日たどったコースです。

 長島は文字通り東西に長い島で、周囲16キロ。島の中央部に愛生園が、西側に光明園があります。

 橋の向こうに見えるのが「鹿久居島(かくいじま)」です。愛生園の初代園長・光田健輔が療養所の療養所の設置計画を進めていたときに、長島とともに候補として挙がったのがこの島です。

 ハンセン病患者の医療に取り組んだ光田は、患者の隔離を進めるべきという考えを持っており、全国で療養所の候補地を探していました。当初は沖縄県の西表島を最有力としましたが、マラリア感染の危険があったこと、地元住民の猛反対に遭ったこと、そして何より遠すぎることから断念。景色がよく、隔離が容易な瀬戸内の島での設置を決めました。

 ちなみに鹿久居島は岡山県内最大の島ですが、ほとんどが国有地で人口はごくわずか。戦後、原子力発電所の設置計画も浮上しましたが、住民の猛反対でとん挫しました。今は観光ミカン狩り園が点在する観光の島となっています。

 日生港を出て30分ほどで長島に近づいてきました。写真は愛生園を南から見た、船上からしか見えない光景です。

邑久長島大橋-人間回復の橋-

 最後に、一つの橋を紹介して終わりたいと思います。

 さらに進んで長島の西側に回り込み、本土との間の狭い海峡「瀬溝(せみぞ)の瀬戸」に差し掛かります。頭上に架かるのは邑久長島大橋。入所者たちの再三の願いにより、1988年にようやっと完成し、「人間回復の橋」の異名を持っています。

 この海峡は、幅がわずか30メートル。にもかかわらず、ハンセン病患者の隔離政策のもと、橋を架けられることはありませんでした。やむを得ない事情を抱えた入所者は、対岸の漁師に賄賂を渡して船を出してもらったり、対岸まで泳いだりして脱走する人もいました。ただ、島の周りは流れが速いため、途中で力尽き命を落とす人も多くいたようです。

 戦後、入所者たちから架橋を求める動きが上がりました。署名活動や国会への請願、架橋資金のカンパなどを経て、橋は造られたのです。

 この後訪れた愛生園の歴史館で、橋の渡り初めの様子の映像を見ましたが、看護師らに支えられながらおぼつかない足で渡るお年寄りや、橋銘板を何度もなでる入所者の姿から、入所者がいかに完成を待ち望んでいたかがよく伝わってきました。

 橋は、強制隔離を必要としない証という意味を持っており、そういう点では普通の橋以上の価値を持っています。

まとめ ―世界遺産登録を目指す動き―

 長島愛生園をはじめとした「瀬戸内三園」では、ハンセン病の療養所を世界遺産に登録する運動が繰り広げられています。偏見と差別を生み出した隔離政策を後世に正しく伝え、あまたの入所者たちの生きた証を残していくための運動です。

 「世界では過去、幾度となくスペイン風邪やコレラなどの感染症に見舞われてきたが、感染のピークが過ぎると忘れ去られてしまう。そのため、感染症に関する遺構は世界的に少ない。それだけに、療養所は感染症に対する差別などの過ちを学ぶことができる貴重な場」

 ツアーのガイド役を務めて下さった学芸員さんが説明しておられました。

 現代の日本でも、新型コロナウイルスの感染拡大で、有形無形の差別や偏見が誘発されました。それだけに、過去の過ちから学ぶべきことは多いと痛感しました。

 6月は「ハンセン病に関する正しい知識を普及する月間」で、6月22日は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定められています。過去の過ちを振り返り、病気に対する正しい知識を持つ人が増え、差別がなくなることを切に願います。

自己紹介

Posted by かく企画