小説新人賞の結果を待つということ
こんにちは。「かく企画」社員の仮面ライターです。私は、細々と小説を書いていて、新人賞に応募しては結果を待つということを続けています。
今回は、新人賞の結果を待つことについて書きたいと思います。
このブログのジャンルは「役に立たない話」の方がふさわしいように思いますが、あえて「記者の末路」にカテゴライズしています。あまり期待せず読んでください。
これまでの「戦績」
2023年8月末時点で、5作を書いて4作を新人賞に応募しました。結果は3敗です。
もう1作品は、結果を待っているという状態です。
1作目は、小説を書けたこと自体に興奮しました。以前、このブログで書いた話ですが、ある作家の人から「1冊書けたら人生が変わる」と言われました。売れる、売れないに関わらずです。
初の小説完成 気が付くと10年が過ぎていた
実際に一つ書けると人生が変わりました。「小説を書いている」と「小説を書いた」の間に、ここまで大きな差があるとは思いませんでした。
その違いをすごく簡単に説明すると、自信がつくということなのでしょう。1作目は、ぼわっとした構想段階を含めると10年近くかかりました。
一つの小説を書ききることが出来ると、勢いが付きました。約2年で5作です。
新人賞に落ちても書くということ
直近に結果が発表された新人賞で、落選したときは、落ち込みました。1次選考も通過しませんでした。
落ち込んだ理由は、これまでより自然に書けたこと。また、読み返したときによく書けたと思ったからです。
その作品には、生ききることができなかった友人への思いを込めていました。そういうこともあって、がっかりしました。
ただ、15時間くらいすると、「次はどれを書こうかなぁ」と考え始めました。アルコールが抜ける時間とさほど変わりませんでした。そして、これまで以上に、他の人が書いた小説を読むようになりました。
それは苦痛という感じではありません。苦痛というと変かもしれませんが、「賞を取るために研究が必要で、読まなければならない」と思うと、私は読書を楽しめません。
小説を書くために読んでいるのですが、素直に作品を楽しんでいる自分がいます。結果として、前よりも読書のペースは上がっています。書くという行為を意識しながら、それでいて作品自体を率直に楽しめるようになったのは良かったことです。
売れるまでなのか?
小説を書いているということは、あまり人に話していません。まれに話をすると、相手は困ったような感じになります。
「ああ、そう」とか「へぇ」という感じです。「何を書いているの?」と聞かれたことは10年前に1回だけです。
こういうことが売れるまで続くのか、いつか小説を書くペンを置くのか。私自身もわかりません。
かつて、「苦役列車」で芥川賞を受賞された、西村賢太さんは、受賞会見で「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」と言いました。
亡くなられてしまったので本人に聞くことは出来ませんが、小説を書いて賞を待つということについて聞いてみたかったです。
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