ああ日本の社長 2022年に取材した社長さんの数を数えてみた

役に立たない話

 こんにちは、社長の藤田です。2021年に19年3カ月勤めた新聞社を退職し、フリーランスのライターとして活動しています。

 当初「いつまで持つやら」と思っていたフリーライターの仕事ですが、皆さまのおかげをもちまして足かけ3年目に突入いたしました。お仕事をくださるクライアントの皆さま、取材を受けてくださる皆さまに、この場をお借りいたしまして感謝申し上げます。

 ここ最近は、新聞やウェブの広告、求人サイト、経済関係の機関紙、ウェブのニュースサイトなどで主に記事を執筆させていただいています。特に企業関係の取材が多く、需要の高さをひしひしと感じています。

 企業の取材では、社長からお話を聞き、その内容を記事にまとめる仕事も少なくありません。

 そこで、2022年は一体何人の社長さんを取材したのか、数えてみることにしました。

なぜ取材した社長の数を数えてみることにしたのか

 本題に入る前に、なぜ1年に取材した社長の数を数えてみることにしたのか、理由を書きたいと思います。

 私が子どものころ(1980年代)に好きだったタレントの一人に、宮尾すすむさんという人がいました。

 テレビ番組の司会者やクイズの回答者、リポーターとして、数多く出演していました。顔の前で両手を交差させて、右の手のひらをあごの下に添えて「ハイッ」とするポーズが持ちネタで、幼稚園から小学校低学年だった私はそれが好きでよく真似をしていました。

 その中で、ワイドショーの人気コーナーで『宮尾すすむのああ日本の社長』というコーナーがありました。日本各地の社長を密着取材して事業内容や仕事ぶりを紹介し、豪邸におじゃまして家具や調度品をあれやこれやと褒めちぎる、といった内容でした。

 私の記憶では、何曜日か忘れましたが、毎週1回『日本の社長』が放送されていたはずです。つまり、宮尾さんは年間60人くらいの社長を取材していることとなります。

 これより多い社長を取材すれば、憧れの宮尾すすむを超えることができるのではないか、そしてあわよくば、2代目宮尾すすむを襲名できるのではないか。

 そんな思いから、取材した社長の数を数えることとしました。



社長の取材を手帳からピックアップ

 いつ、どこで、誰を取材したかについては、メモ帳に記録を残してあります。そこで、2022年のメモ帳から、社長への取材をピックアップしてみました。

 対象は「社長」の肩書きを持つ人で、企業の大小は問いません。所属するのが自分のみで他に社員がいない会社でも、立派な社長です。同一人物を複数回取材した場合でも、カウントとしては1人。

 あくまでも「取材」した社長であり、それ以外の仕事(例えば、単なる打ち合わせや、社長をしている友人との飲み会など)でのコンタクトは除外しています。また、協同組合の組合長や理事長など、各種団体の長は含みません。個人事業主についても省いてあります。

 また、言うまでもありませんが、私のような「自称社長」も対象外です。

 以下が月ごとの結果です。社名はイニシャルにしています。

1月 2人(K社、M社)
2月 1人(K社)
3月 1人(M社)
4月 2人(C社、S社)
5月 4人(Y社、D社、P社、K社)
6月 4人(Y社、M社、N社、T社)
7月 4人(F社、A社、K社、S社)
8月 ゼロ
9月 3社(O社、E社、N社)
10月 4社(O社、E社、N社、O社)
11月 1社(T社)
12月 3社(Y社、C社、H社)
合計 29社

 数えてみると29社。思ったよりも少ない結果でした。

 宮尾すすむばりに毎週のように取材をしている日もあれば、8月のようにゼロの月や1社にとどまっている月も。業務の量や内容が不安定なフリーライターの仕事ぶりをよく表しています。



結論 ー宮尾すすむへの道は遠いー

 調査の結果、宮尾すすむ師匠の半分にも及ばないことが分かりました。まったく修行が足りないですね。2代目宮尾すすむ襲名などと言っていた自分が恥ずかしくなりました。

 最後に、もう少し宮尾さんについて触れておきます。

 番組内で宮尾さんは、社長の仕事ぶりや業務の大きさにオーバーアクションで驚き、「さすが社長!」と持ち上げていました。特に社長宅に行ったときは太鼓持ちそのもので、車庫の高級車を絶賛したり、冷蔵庫の中からメロンや肉などの高級食材を見つけ、ちゃっかりごちそうになったりしていました。

 それでも、下品で卑しい感じが全くしませんでした。話術が素晴らしかったことはもちろんですが、それに加えて宮尾さんが社長や会社に尊敬の念を持って取材していたからではないかと思います。

 宮尾さんはタレントになる前、故郷の鹿児島県で洋服店を経営していましたが、失敗して店を潰してしまったという経歴があります。

 その後紆余曲折を経てタレントとして成功しましたが、社長の姿に自分のなりたかった姿を見ていたのではないか。そのように勝手に思っています。

 私も新聞記者は途中挫折してしまいましたが、腐ることなく、スキルを磨き続けていきたい。在りし日の宮尾さんから、あらためてそのように感じました。

 インターネットの普及や人々の価値観の多様化を背景に、広報やマーケティングに力を入れる企業は増えています。私もライティングを通じ、企業のお役に立つことができればと考えています。