ポエムのメリーゴーランド
みなさん、こんにちは。「かく企画」社員の仮面ライターです。
このブログは、書くことで人生を良くしていく方法を紹介していこうと、社長と2人で執筆しています。
今回は、記者の文章トレーニングについて紹介します。さらに、難解な文章について私見を述べたいと思います。
新人記者の文章トレーニング
新人新聞記者の文章トレーニングは、事件と事故の原稿を書くことだと私は思います。
文章自体は定型のスタイルです。特に1段落目は、型がほぼ揺るがない場合がほとんどです。ただ、次の段落からがトレーニングになります。
2段落目からは、より詳細な状況が想像できるようなパーツになります。しかも、客観的に短い文章で書かなければなりません。
これが最初はうまく書けないのです。
住宅地図を見て車の進行方向を確かめたり、可能であれば実際に現場に足を運んでみたり。まずは、状況をよく理解します。
次に、書いては読み直すということを繰り返して、頭に描いた状況が伝わる文章にしていきます。文章の書き方次第では、事故関係者のうち誰かが悪いという印象を与えることがあります。そう書いても大丈夫なのかということも重要です。
事件と事故の原稿が文章のトレーニングになるのは、翌日、他社の記事を読めるからです。
事件と事故の状況という題材は同じです。文章を比べることが出来るので、被害に遭った人には申し訳ないのですが、格好のトレーニング材料になります。すんなり読める文章に脱帽することもあれば、自分とほとんど同じ行数なのに、一つ要素が多く盛り込まれている、なんてことがありました。
もう一つ言うと、文章自体のトレーニングとは関係ありませんが、同じ条件で取材をしたのに、自分が知らなかった事柄が書かれていることもります。これは、取材力の差です。
「絶対解」がない文章
ここから先はまた脱線です。
記者をしていた時に難儀をしたのは、「絶対解」がないテーマです。
事件や事故の状況を伝える文章は、定型があるように、「これが正しい文章だ」と言えるような一定の「絶対解」が存在します。
もちろん、新聞独特の文体が良いのかという問題はあります。ただ、その内容を別の文体で書いたとしても、伝えるべき事象がはっきりしています。
一方、何かを成し遂げて賞をもらった人などを取材し、文章にするときは様子が違ってきます。
私はデスクに次のようなことを言われたことがしばしばありました。
「この人がこんなことを思っているわけがないだろ」
「この人がこうしたのには、過去に苦労があったはずだ」
実際に質問不足だったこともありました。
ただ、新聞記者(デスクを含む)の良くない点の一つは、人の行動には必ず理由があると決めつけ、時には、本人に何度も考えさせることで、「自白」させてしまうことです。
もう一つ言えば、人が「思ったこと」を客観的に書くのは、さらに難しい作業です。 「絶対解」がない文章を私は「ポエム」と心の中で呼んでいました。
ポエムは、くるくる回って元に戻ることもあります。
最初に書いた文章をデスクの指示や注文に従って数回書き直すと、元の文章に戻るという現象です。
もしくは、最初に監修したデスクによってほとんど書き換えられ、別のデスクの指示で書き直すと元の文章に戻ることもありました。
「ポエムくるくる」の原因について、私はこう考えます。主語はすべて「デスク(文章を監修・チェックする係の人)」です。
その1)書いている題材に「絶対解」があるのかを確認していない(もしくは、わかっていない)
その2)書いた記者を使って、自分で書き直している
その3)人は時に、あいまいなまま行動してしまうことがあることを理解してない
その4)書いた記者を信用してない
その5)他人が書いた文章に自分の考えを押しつけすぎている
その6)自分が知っている常識に合わせようとして作文してしまう
ポエムについては、小学校や中学校で教えているポイントの方が、個人的には優れていると思います。その点については、別のブログで紹介しています。
もちろん、ポエムついて、監修者が一切意見を言ってはいけないとは考えていません。
かく企画のデスクワーク
「かく企画」では、2人のライターがブログを書いています。
監修者は、文章がわかりにくい部分、誤字脱字、間違った言い回しを指摘します。
次に、「最初の読者」として、「この部分に興味を持ったのだけど、もう少し詳しく知りたい」とか、「連載の最後の回の想定で書いたものが最も良かったから、これを最初にするために書き換えてみては」など、意見を伝えます。
ちなみに、そうして連載を書き直したのが以下のシリーズです。
指摘や意見を出されたら、絶対に変更しなければならないということはありません。ただ、自分はどうしてこう書いたのか、どうしたいのか、ということを監修者に伝え、話し合います。
時には、それぞれの意見が一つにまとまらないことがあります。そのときは、ライターの意見を優先しています。
マスコミで働いていると、私たちのようにはいかないかも知れません。毎日のようにデスクに否定されて、精神的にまいっている人もいるかも知れません。思いがあって始めた仕事であれば、つらいと思います。私もそうでした。
ただ、あるとき、「ポエムくるくる」を初体験し、その呪縛から解放されました。
一方で、ポエムをめぐる高圧的なデスクの物の言い方や、原稿の扱われ方、仕事の進め方などに意味がないことを知ってしまったことも事実です。
それまでの過程が良かったのか悪かったのかはわかりません。ただ、そういう体験をしてきました。それが今日の自分につながっています。
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