世界最大のアンサンブルキャスト・ポケモンの魅力を考える
こんにちは、社長の藤田です。現在はフリーライターをしていますが、その前は19年間、地方新聞社で記者、営業職として勤務していました。
以前、スマートフォン向けアプリ「ポケモンスリープ」をインストールしたものの、わずか1日で辞めてしまった話を書きました。
とはいえ、ポケモンが嫌いになったわけではありません。ポケモン世代である妻との数少ない?共通話題であり、たまにですが話に出ることがあります。
今回は、四半世紀に及ぶポケモンと私のかかわりについて、つれづれなるままに書いていきたいと思います。
浪人中にゲームとアニメにはまる
ポケモンがリリースされたのは1996年。当時高校生であった私は、いわゆる「ポケモン世代」ではありませんが、ひょんなことからポケモン好きとなってしまったのでした。
私には年が離れた弟がいます。1997年、当時小学校に上がったばかりだった彼は、ゲームボーイ(当時普及していた携帯用ゲーム機)でよくポケモンのゲームをしていました。ギザギザの尻尾を持った小動物や、背中に植物の種を背負ったカエルみたいな生き物を自在に操り、洞窟に潜むコウモリや、敵キャラが所有するドブネズミのような生き物と戦わせていたのです。
彼のポケモンへの入れ込み具合は激しいもので、当時ポケモンとともに流行していた電子ゲーム「たまごっち」のキャラクターに「ポケモンっち」と名付けていたほどでした。
「それはイヌに『ネコ』って名前を付けるようなものだ」。私は何度か説諭しましたが、彼が聞き入れることはありませんでした。
かたや私は、その年の3月に大学入試で全滅し、晴れて浪人生に。新生活に浮かれる同級生や、香港返還のお祭り騒ぎを横目に、家で鬱屈した日々を過ごしていました。
そんなある日、気分転換にゲームボーイを借りてポケモンをしてみたところ、これが面白いのなんの。世界観が作り込まれたロールプレイングゲームで、151種類(当時)の個性豊かなキャラクターにすっかりはまってしまい、受験勉強そっちのけで興じていました。
アニメの放送休止により大学合格?
センター試験を1カ月と1日後に控えた1997年12月16日の夕方、私は勉強もそこそこに、いつも通り弟とポケモンのアニメを見ていました。弟がゲームで頻繁に操っているギザギザ尻尾の小動物が電撃を放つシーンがあり、いつものテレビより眩しいなあと思ったのを今でも覚えています。
その後、家族とともに夕食を食べていると、ポケモンのアニメを見た人が全国各地で倒れているというニュースがテレビから流れてきました。
世に言う「ポケモンショック」。原因は例のギザギザ尻尾が放った電撃による光過敏性発作でした。
幸い弟も私も何ともなかったのですが、ポケモンのアニメは当分の間放送休止の措置が取られることになりました。
週に一度の楽しみを奪われた私は、しぶしぶ受験勉強に本腰を入れることに。それが幸いしたかどうかは分かりませんが、おかげさまで私の学力と到底見合わない大学に合格することができました。
妻と唯一?分かり合える話題
その後ポケモンは国民的人気を得るにつれ、キャラクターの増加や新ゲームのリリースを繰り返していましたが、さすがに二十歳を過ぎた私は徐々にゲームをしなくなっていきました。
その後ポケモンと“再会”したのは十数年後、妻と出会ったときでした。
弟と年が離れていることは前述しましたが、実は妻とも少々年が離れています。ですので、昔見ていたテレビとか、歌や芸能の話について、共通の話題がほとんどありません。
結婚前に交際していたころ、一緒にカラオケボックスに行ったのですが、私が歌う曲を妻はぽかーんとした顔で聞いていました。私も妻が歌う曲はほとんど分かりませんでした。「今日のデートは失敗だったな」と思いながら帰路に着いたことを覚えています。
そんな中、数少ない共通話題がポケモンでした。妻はポケモン世代ど真ん中で、兄の影響でゲームを楽しんでいたと言います。
ちなみにゲームをしていて好きだったポケモンは、ふうせんポケモンのプクリンと、植物のポケモンのラフレシア(熱帯に咲いている巨大な花とは関係ありません)だったそうです。
妻と唯一?分かり会えるサブカルチャーの話題、それがポケモンなのです。
世界最大のアンサンブルキャスト
私たちがはまっていたころは151だったポケモン。現在は1000種類を超えているそうです。もうろくした頭では当然全てを覚えることができていません。
しかし、形状や性格、繰り出す技など、1匹1匹のキャラが立っているのは大きな魅力です。アニメの影響で、社会的にはピカチュウが主人公のような捉え方をされていますが、私がゲームをしていた頃はこのポケモンが主人公という概念はありませんでした。
ある意味、世界最大のアンサンブルキャスト(群像劇)といえるのではないでしょうか。
映画でも小説でも、特定の主人公がいない話や、主人公はいてもその他の人物にも光が当たる作品が好みです。
一例を挙げると、司馬遼太郎の『関ヶ原』や、浅田次郎さんの『終わらざる夏』など。主題がぼやけるという人もいますが、それぞれの登場人物に光を当てることで、さまざまな物語を読んでいるというお得感に浸れるのです。
私がポケモンを好きな理由は、案外こんなところにあるのかもしれません。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません