公然と「僕」と名乗る人たち ―吉田松陰から橋下徹まで―

 こんにちは、「かく企画」社長の藤田です。新聞社で勤務ののち、フリーライターとして新聞、機関誌、ネットメディアなどを舞台に取材・執筆をしています。2023年より仮面ライターさんと当ブログを立ち上げ、フリーランス、新聞記者、文章・言葉などをテーマに情報発信しています。

 今回は、日本語の人称代名詞のうち「僕」という言葉にスポットを当てたいと思います。

 数年前から気になっていたのですが、最近、テレビで自分のことを「僕」と呼ぶ男性が多いと思いませんか? 

コメンテーター

もっと政府主導でプログラミング教育を推進すべきだと僕は考えていて~

 テレビの情報番組などで意見を求められたコメンテーターなどが、平気で「僕」という言葉を使っています。

 男の子の一人称のイメージが強いだけに、違和感を覚えます。彼らはどうして「僕」と名乗るのでしょうか? 僕の歴史(筆者・藤田の歴史ではありません)をたどりつつ、私なりに理由を探りたいと思います。

吉田松陰が使い始めた「僕」

 「僕」という人称代名詞が使われるようになったのは、幕末から。一説には、維新の英傑を多く育て上げたことで知られる吉田松陰(1830~1859年)が広めたとも言われています。

 「僕」には「しもべ」という意味があります。身分の低い召使いを示す「下僕」という言葉や、公務員を公衆の奉仕者という観点から「公僕」と呼ぶことからも分かるように、周りに対し自分がへりくだっている意味を持っています。

 自分をへりくだった言葉として松陰が「僕」と自称し始め、それが私塾・松下村塾の志士たちの間で流行したと言われています。

「僕」を使うのが印象的な人3選

 明治に入り、「僕」という言葉は一般にも広まります。政府や財界の要職を松陰と長州出身者が占めるようになり、方言から共通語になったのかもしれません。余談ですが、人を怒る時に発する「コラ」という言葉は元々薩摩地方の方言だったと言われています。

 時代が下るにつれ、政治家や芸能人、はては架空の人物や女性までもが「僕」と呼ぶようになります。

松岡洋右

 松岡洋右は、戦前期の日本の外交官。日本史を履修した方にとっては、満州事変後の国際連盟総会で議場を退席し、日本の国際連盟脱退に至ったことでおなじみの人物です。

 その後、近衛内閣の外相として日独伊三国軍事同盟を締結するなど、太平洋戦争の糸口を作った人物とのイメージがありますが、実際は日米の戦争を回避する行動を取っていたと言われています。

 外相離任後の1941年、日米開戦の報に触れ、松岡は号泣しながらこう言ったと言われています。

「僕一生の不覚であった」

 この言葉には、自分が締結した三国同盟によって無謀な戦争の道が開かれたことに対する悔恨の念が詰まっています。その後松岡は日増しにやつれていき、終戦後の軍事裁判中に死去しました。

 ちなみに松岡も松陰と同じ山口県出身です。

加山雄三

 戦後のスター・加山雄三さんも「僕」を使うイメージがあります。代表曲「君といつまでも」のせりふ

「僕かぁ君といる時が一番幸せなんだ」の印象が強いからかもしれません。

 この加山さん、実は一度だけ取材をさせてもらったことがあります。

 ある百貨店で、加山さんの絵画展が開かれたことがありました。歌や演技だけでなく、スポーツや船の操船など、マルチな才能を持つだけに、多くの来場者でにぎわっていました。

 会場をひととおり取材して、さて帰ろうかと思っていたところ、係の方から「本人おりますけれど、話を聞かれますか?」と言われ、せっかくなので取材をさせてもらうことに。

 加山さんは、絵に取り組む動機や作品の見どころなどを、テレビそのまんまの語り口で話してくださいました。20代前半の不勉強な田舎記者が相手でも、決して偉ぶることのない、飾らない人柄が印象的でした。

和登千代子

 和登千代子は、手塚治虫さんの漫画『三つ目がとおる』に出てくる女子中学生です。作品の内容は長くなるので省略しますが、主人公に対し何かと世話を焼くヒロイン的な存在。自分のことを「僕」(作品中は「ボク」とカタカナ表記)と呼びます。

 私が小学生の頃、『三つ目がとおる』のアニメが放映されていました。アニメでも和登さんは「僕」と言っていました。「男が使うもの」という固定観念があったため、最初は聞き間違いかと思っていたのですが、何度聞いても「僕」でした。

 後になって知ったのですが、サブカルチャーの世界では、少女にあえて「僕」と言わせてキャラを立てる手法があるようです。

「僕」を使うことで得られる効果

 時はくだり現代。冒頭に触れたように公の場で「僕」を使う人が増えているイメージです。元大阪府知事の橋下徹さん、現職の吉村洋文知事など、いわゆる日本維新の会系統の人が特に使っているイメージです。

 橋下さんがテレビの囲み取材などで「僕」と自称しているのは、最初は衝撃でした。「政党名が維新だけに、吉田松陰へのオマージュとして使っている」といった安直な理由ではなく、そこには何か狙いがあるはずです。

 「僕」を使うことで得られる効果を、自分なりに考えてみました。

くだけたイメージを出す

 「私」だとどうしても堅苦しいイメージが拭えませんし、「俺」とかだと粗野な感じがします。

 加山雄三さんのように自然に使うことができれば、飾らない人柄という印象を与えることができます。

本音で語っている感じを演出

 身近な人との会話で用いる「僕」をあえて公の場で使うことで、本音で語っていると印象づけることができます。政治家にとっては重要なファクターとなり得ます。

まとめ

 今回は、テレビや公の場などで使われている「僕」という一人称について考えました。

 幕末にまで話を遡らせましたが、やはり公の場で「僕」と使うのは違和感を覚えます。

 しかし、言葉は時代によって変化するもの。そのうち「私」の勢力が衰え「僕」が主流になる日が訪れるかもしれません。